Private Phrase


ホームページの整理

今、ホームページの整理作業を行っております。
リンク集なんかリンク切ればっかりだったので、ばっさり整理しました。
私が思っているより、世の中は速く進んでいるようです。

Written By K.Nakashima
(2003/12/6)
ホットレモンC-3000の真相

先日、「ホットレモンC-3000」なる商品の、
成分表示に疑問があると述べたが、
製造元に問い合わせたところ、
非常に明解な回答があった。
ビタミンCは、実は炭水化物であるらしい。
そのため、炭水化物15.8gとビタミンC 1000mgを合計しても、
15.8gなのである。
製造元に問い合わせた私は、ちょっとクレイジーと思われたかもしれないが
こんな私の愚問にも、誠意を持って対応してくれた、
この製品の製造メーカは、実に素晴らしい。
製造メーカたるもの、そうありたいものである。
果たして、私が勤める会社は、
きちんと顧客の疑問に答えているであろうか。
不安な気持ちでいっぱいである。

Written By K.Nakashima
(2002/12/27)
英雄

正直な話、
人を感動させる演奏というものは、
なかなか難しいことである。
普通、人は音楽ごときで涙を流すことはない。
ましてや、なまじアマチュアとしてであっても音楽をやっている私の場合、
演奏会を聴きにいっても何かと演奏の粗探しをしてしまいがちである。
それは、かつてコンクールなるイベントに取り組んでいた
あの幼かったころの弊害の一つである。
先日、今まで出会ったことのない演奏を聴いた。
演奏から強い緊張感がホールを満たしていた。
終演直前には涙がにじみ出ていた。
しかも、私から涙を奪った演奏者は、
まだ経験の浅いはずのTrumpeterだった。
すさまじい衝撃は、一週間経った今でも、私の脳裏に焼き付いている。
あのステージに上った英雄達に心から敬意を表する。

Written By K.Nakashima
(2002/12/21)
成分表示の怪

とあるメーカの食品「ホットレモン C-3000」というものを
購入した。
ホットレモンで温まるのは、熱燗で温まるよりも
健康的であるし、何より後ろめたさがなくてよいものだと
思っている私の感性は少しおかしいかもしれない。
ホットレモンをすすりながら、ふと「栄養成分表示」を見た。
1袋(16g)当たり、
脂質0.1g、炭水化物15.8g、ナトリウム32mg、カリウム5.7mg、ビタミンC 1000mg
とある。
すべて合計すると、16.90377gになってしまう。
でも、1袋は16gなんだそうだ。
世の中にはまだまだわからないことがいっぱいあるものである。

Written By K.Nakashima
(2002/11/24)
英語学習

我々が米国にビジネスで行く場合、
現地人との会話は当然英語で行われる。
逆に英語圏の人が日本にビジネスで来る場合、
日本人との会話は不公平であるが英語で行われる。
この「不公平」の理由は、
米軍基地が日本にあるのに自衛隊の基地が米国という事情の理由と似ている。
少なくとも、私一人が少々がんばったところで
この「不公平」は短期間では改善できない。
社会人一年生の私であるが、
わずか半年の間に、
英語圏の人と英語でミーティングをする機会が
何度「も」あった。
是非とも英語で意思疎通する能力を獲得したいものである。

Written By K.Nakashima
(2002/10/20)
私の財産

経済的に直接意味をなす財産、
即ち、預貯金、不動産、債権、及び有価証券といったものは、
ほとんど所持していない。
資産運用など夢のまた夢であり。
では、私の財産とは何か?
それは、私が獲得してきた能力であるのではないかと思ってきた。
それは、象徴的には学歴であり、
実生産性としては、読み書きそろばんに代表される初等教育により獲得したものや、
C言語やカーネル開発に代表される専門的知識である。
これにより私は職に就いているわけだし、
この「思い込み」はそんなに間違いではないと信じてきた。
しかし現実には、私はそろばんはできないし、
賃金に見合う生産高をあげられる程には、
専門的知識を活用できる能力もまだない。
私の真の財産とは能力であるとは、
偉そうに主張できないのが事実である。
私の真の財産、それは、追究すると、
飲み仲間であり、音楽仲間であり、先生方との師弟関係であり、
恋人であり、家族である。
この財産を今後どう保全するか、
そして、生きている限りおなかがすいてしまうという事実との折り合いを
どうつけていくか、
これがいうならば、私の「資産運用」である。

Written By K.Nakashima
(2002/10/1)
窮屈な自己

最近、Trumpetを吹いていない。
最近、この事実に恐怖を感じる。
Trumpetを吹かないということは、
自己の本質の維持を放棄することと同値である。
これは、多くの人にとって呼吸をしないということは、
自己の生命の維持を放棄することと同値であるのと、
似た関係である。
これは、私の窮屈な性質の一つである。
そろそろ真剣にTrumpetを吹く環境を見出さねばならない。
こいつは、ちょっと骨の折れる仕事だ。

Written By K.Nakashima
(2002/8/4)
「上京」

「上京」という言葉がある。
辞書には、「地方から東京に行くこと」と書いてある。
この言葉をはじめて知ったのは、
確か小学生の時の漢字のテストの時で、
なんとなく、変な言葉もあるものだと感じた。
東京に行くことを上京と特別な呼称で呼ぶことに、
不思議さを感じた。
福岡に行くことにも、大阪に行くことにも、名古屋に行くことにも、
特に特別な言葉はないのに、
東京に行くことだけに、「上京」という単語が使われる。
これは滑稽だと感じた。
福岡を離れて、遠く離れた川崎という街に来た。
生まれて初めて九州を離れて定住することになった私は、
「上京」してみて初めてこの言葉の真の意味を感じた。
関東に出てきたせいか、趣味も少し変わった気がする。
何故か突然ラフマニノフを聴きたくなったのはそのせいか?

Written By K.Nakashima
(2002/5/26)
修了式

桜の香りに追われ、
ひたすら走りつづけた三月も
気が付けば残りわずか7日。
明日は、修了式である。
学生時代の六年間等を
ゆっくり総括でもするのがこの時期なのだろうが、
残務処理に追われ、
修了前日の今日も深夜作業。
走り続けた私は、
その理由が何であったのかを
いつの日か理解できるのだろうか。

Written By K.Nakashima
(2002/3/24)
異なる二つの「響」

北九州と福岡という約80km程離れた二つの街に、
「響ウインドオーケストラ」と
「福岡響ウインドオーケストラ」とが存在する。
何故、どちらも「響」なのかというと、
それは、私がそうしたからだというのが解答で、
私以外には、本当の理由を知らない。
そういう意味では、私はこの「本当の理由」を、
永遠の謎にすることもできるのだから、
これは、至上の快感である。
即ち、存在するのではなく、存在させるということは、
なかなかに面白いことなのだ。

Written By K.Nakashima
(2002/2/12)
全自動裁判機

ニュースを見ていると、
ほぼ毎日のように某らかの裁判の判決について、
報じられている。
裁判とは、人に対して法律を正式に適用することであり、
それによって身体的自由や名誉、あるいは経済的な権利が
生まれたり消えたりし、
その執行について国家によってお墨付きを与えるものなので、
法に照らして慎重に判断しなければならないことは、
言うまでもない。
だって場合によっては、国家のお墨付きにより、
命を奪われることだってありうるのだから。
ただ、どうやら日本という国の裁判制度では、
作業が慎重すぎるためか、それに関わる人手が足りないためか、
時間もかかるし費用もかかる。
これは、問題であるため、
法曹界な人々を増員しようという目的のためか、
ロースクール制度なるものを導入しようとしているらしい。
これは、裁判の高速化には貢献するが、
低価格化には貢献しないと考えられる。
やはり、裁判にかかるコストを削減するためには、
裁判の合理化が必要である。
そこで、全自動裁判機は無理にしても、
裁判支援システム位は開発してもよいのではないだろうか。
聞けば裁判とは、
法律と過去の判例に従って結論を出す作業であるとか。
そういうことなら、
裁判用のエキスパートシステムくらいできるんじゃないかと思ったりする。
簡単な裁判であれば、全自動化だってなんとかなるに違いない。
20XX年には、「クリック一発 簡易裁判」というキャッチコピーが
流行っているかもしれない。

Written By K.Nakashima
(2002/1/30)
とあるタレント議員の辞職

asahi.comの報道によれば、とあるタレント議員が辞職したそうだ。
別にこのタレントが好きである訳でも嫌いである訳でもないが、
参議院選挙に出馬するという報道を聞いた時は、
この人が国政に任せるのはいかがかと思った。
何故ならば、このタレントは、
一年の大半を海外で過ごし、
「セミ・リタイア」という贅沢な身分を存分に楽しんでいる人に、
大不況で苦しんでいる現場である日本の梶取りが出来るのかと
非常に強く疑問を持ったからである。
その知名度により、あっけなく当選し、
自らの主張をかなえられないと、すぐに辞めてしまった。
一年の大半を海外で過ごすのはその人のスタイルだ。
「セミ・リタイア」等という贅沢極まり無い身分を自称し実践するのも、
それまでの業績の結果可能な訳で、
それを存分に楽しむのは大変結構だ。
だが、一年の大半を海外で過ごしているような人に、
日本という国の国政は、任せるべきではない。
いろいろと主張もあるだろう。
信念を曲げなければならないは、政治家としては、耐えられないかもしれない。
しかしながら、
関係各方面と協調し玉虫色を良しとするこの国の文化では、
肉を切らせて骨を断つ精神で望まねばならない。
機を常に伺い、機が訪れた時に、大胆に実行しなければならない。
海外生活が長いと、このあたりの感覚が鈍るのか。
信長は敗れ、家康が天下を取ったのが
この国の歴史である。

Written By K.Nakashima
(2002/1/29)
かすみそう

研究室で「飼って」いた
「かすみそう」の死亡を認めざるを得なくなった。
人々の愛を受けるために存在した「かすみそう」は、
人々から忘れられて死に至った。
しかも、彼は植物であるため、
埋葬されることもなく放置されている。
全ては人々の価値観による相対論で、
人々は価値観により、どこまでも残酷になる。

Written By K.Nakashima
(2002/1/28)
春の香り

日中の生暖かい空気が、
春の香りを運んで来た。
まだ1月というのに。
春の香りから連想するもの。
坊主頭に学生服という前近代的な様相でプラスとかマイナスとか学びはじめたころ。
遅刻寸前のところを必死に坂道をかけ上がった高校入学のころ。
特に大した夢ももたずに六本松に通いはじめたころ。
意味もわからず先輩に言われるがまま計算機にBSD/OSをインストールしたころ。
はじまった時には、結果はわからなかった。
はじまってみるまで、なにも見通しは付かなかった。
なにかをはじめるということは、とても大変なこと。
終わるのは、もっと大変ですが。

Written By K.Nakashima
(2002/1/7)
喉が乾けば

喉が乾けば、
ビールをくいっと飲みたくなる等と発言すると
すぐオヤジ扱いする風潮があるが、
むしろこれが自然な姿であって、
それをオヤジ扱いする輩の方こそおかしいのである。
この手の輩は、
なにがしらかの偏見や差別をもって
人を区別したいという
不幸にも人々が元来持っている負の欲求を
満たしたいだけなのである。
さて、問題は、ビールにはアルコールが含まれているため、
これを飲むとその後仕事ができなくなってしまうことである。
そういう都合で、お茶を飲んでいる私は、
なんと働き者なのかと思う次第である。

Written By K.Nakashima
(2002/1/7)
構造改革

巷では、構造改革という言葉が流行っていて、
つまり、構造改革とは、
リスラクチャリングとかリエンジニアリングとかいう
横文字と同義だったと思うのだが、
あえて誤解を与えることを承知で言えば、
つまりそれは、不要なものや害のあるものは、
容赦なく切捨てていくということだと思う。
国家や企業は、それぞれの目的にために、
足かせとなるものを切り捨てる。
最近、こういうことが流行っているのだが、
個人というレベルでは、切捨ては、
あらゆる側面において、
実に頻繁に発生している現象である。
足かせを切り捨てることは、誰でもやることだ。
そして、それをそこまで悪くいってはいけない。
国家も企業も個人も、生き残りのためには、
切捨ては、仕方がないことだ。
重要なのは切り捨てられたくないのなら、
自己の価値を高めるしかないということ。
あるいは、
切り捨てられた後の準備を怠らないこと。

Written By K.Nakashima
(2001/12/27)
片付け

研究室の机を片付けた。
所用時間は、約1時間半。
片付けは、嫌い。
いろいろと思い出すから。
この片付けでは、2年前位のことまで遡って、
タイムスリップした。
修士課程に入学した時の書類なんて、
必要ないのだから、
一定期間がたったら消滅すればのにと、
感じる今日だった。

Written By K.Nakashima
(2001/12/21)
Raising sun

北九州で過ごしている時は、朝日新聞を読む。
部屋に戻ると、テレビ朝日のニュース番組を見る。
大学で作業の合間に見ているWebサイトは、asahi.com。
もし、日が落ちてしまったら、私は情報を得られなくなる。
そして、このままで行くと、
僕は月の優雅さを知らないまま生きることになる。
だから、僕は、できるだけ、筑紫さんのニュースも聞くようにする。
ちなみに、朝日新聞の旗って、旧日本海軍の旗に、
似ているのはどういう訳だろう?

Written By K.Nakashima
(2001/12/19)
泣いたり、怒ったり

泣いたり、怒ったりすることは、
とても自然なことだとかいう、
どこかのキャッチコピーは嘘だ。
それは、あくまで、コミュニケーションを、
戦略的に乗り切るためのカードに過ぎない。
本当に怒っている時、君は怒りをぶちまけるかい?
本当に悲しい時に、君は涙なんて流していられるかい?
怒鳴り散らした後に、一杯さそうBossは、カードだ。
涙ながした後に、抱かれた胸の中でニヤッとすれば、カードだ。
もっと突き詰めると、
コミュニケーションは、つまりカードか?
それは、言い過ぎか?

Written By K.Nakashima
(2001/12/18)
磁気ディスク

磁気ディスクは、
強い磁気を局所的に使用することで
情報を記録する訳で、
そういう都合で広範囲な強い磁気を受けると
記録内容が消えてしまうんですね。
「1」と「0」が様々に配置されることで
初めて意味をなす訳で、
全部「1」になっちゃったり、
全部「0」になっちゃったりすると、
それは系として情報量0bitになってしまうんですね。
だから、広範囲な強い磁気は困るのです。
強すぎる磁石は、大変困ります。
いや、勿論、白色ノイズはうるさいだけです。
蛍光灯の光もあまり好きではありません。
つまり、真っ赤は嫌いでも、紅葉は素敵だということ。
火傷せず凍え死なないことが望むところであるということ。
白色光もプリズムを通すと虹色になって素敵でしょう?

Written By K.Nakashima
(2001/12/7)
正義の有無

フランス革命も、
ロシア革命も、
キューバ革命も、
イラクのクェート侵攻も、
地下鉄サリン事件も、
米国のテロ事件も、
米国のアフガニスタンへの攻撃も、
全て血が流れている。
ナポレオンも、
レーニンも、
カストロも、
フセインも、
麻原も、
オサマ・ビン・ラディンも、
ブッシュも、
「正義」のために、
人を殺す指揮をとったことには変わりない。
正義は価値観により形成されるので、
その有無は背後の価値観に由来する。
人の命はそれよりはシンプルで、
その有無は心臓の鼓動に由来する。
私が願うことは、
人の血が流れないこと。
だって血が流れると痛いから。
肉体も精神も。

Written By K.Nakashima
(2001/12/4)
諸々の出来事

久しぶりのProfileの更新。
久しぶりの手書きの手紙。
予想通りのかすみそうの危篤。
これらは、つまり、私そのものだ。
多分。
それはそうと、かすみそうの育て方、知りませんか?

Written By K.Nakashima
(2001/11/27)
事情

人にはそれぞれいろいろ事情があるもので、
そういった抱えている事情により、
割と自由には言動できないのが実情だ。
そういった関係にあるので、
人と人と、あるいは、人と人と人との相互関係には、
そこに関わる人達の事情というコンテキストを
互いに考慮しながら、
人達としての言動を実行する訳だ。
しかも、それぞれの事情というものは、
公開できるものもあれば非公開にしなければならないものや、
他者に認められるものもあればそうでないものもあり、
そういった都合で、
このそれぞれの事情という輩は随分と面倒である。
なるべく相手の事情に配慮したい。
なるべく自己の事情に配慮して欲しい。
そうすればきっと幸せなのだが、
世の中はそのようにはできていないようで、
随分と困ったものだと感じる。
人とうまくかみあわないということは、
意外にも悲しいことである。

Written By K.Nakashima
(2001/11/20)
かすみそう

研究室でかすみそうを育てている。
なかなか芽を出そうとしない
ひねくれものであった。
芽を出してみてもひねくれていて、
鉢のはじっこに蒔いた種しか発芽していない。
そんな奴でも、なかなか可愛い奴だと思って
水をやるのが楽しみだと思うようになった私は、
少し疲れているのかも知れない。

Written By K.Nakashima
(2001/11/12)
久しぶりに会う知合い

5年程会っていなかった知合いと先日会う機会があって、
お久しぶりということでいろいろと話をしてみると、
中身は全然変わっていないし、
外見の趣向も特に変わっていないし、
その人はその人そのもののままなのに、
肌の艶は衰えているなと感じた。
5年間でその知合いは5年分歳を重ねた。
多分相手もそう感じただろう。
私は5年分歳をとった。
相手もそうだ。
そういえば、妹も来年は中学生になるらしい。
いっそサザエさんにでもなろうかと思う今日この頃。

Written By K.Nakashima
(2001/11/5)
アメリカ合衆国とテロ

NYのWTCが消失してから随分時間が過ぎた。
この事件で亡くなった方、行方不明になられた方には、
本当に哀悼の意を表明したい。
テロは憎むべき卑劣な表現だ。
テロを許してはいけない。
しかし、命を投げ捨ててまで凶行に及んだその背景は、
あまり報じられていない。
言うまでもなく
背景には、フサイン=マクマホン協定やバルフォア宣言に始まる
複雑な中東情勢がある。
大国のエゴにより不安定を強いられる中東情勢により、
欠乏と貧困、多数の難民を生んでいる。
あのテロを、
欠乏と貧困に苦しみ、
多数の人々が難民生活を強いられている
中東の悲惨な現実を生み出した、
大国のエゴに対する報復攻撃だと考える人が、
中東地域にいたとしても、それは別に不思議なことではない。
テロに対して報復しても、それはアメリカの気が収まる程度のものだ。
テロ根絶を目指すなら、とるべき選択肢は2つだ。
テロの拠点とされる全世界から人類を滅ぼすか、
欠乏と貧困と理不尽な難民生活を全世界から滅ぼすかである。
テロリストと一般市民の区別など、そう簡単にできるはずがないのだから。
大国のエゴがまいた種を、大国のエゴで踏みにじるのは、
テロ行為より卑劣である。
各国首脳の理性的な判断を心から希求する。

Written By K.Nakashima
(2001/10/3)

小さい頃、暦の概念のうち、
月と日は比較的簡単に認識するようになったのだが、
「週」は嫌いだった。
この「週」のいやらしいところは、
「週」が整数個集まっても、「月」や「年」にはならないことだ。
「日」は、28〜31個集まると、「月」になるし、
「月」は、12個集まると、「年」になる。
しかし、「週」は、4個では、「月」には足りないし、
5個では、「月」を越えてしまう。
この不完全な関係をとてもいやなものだと感じていた。
だから、幼稚園児である間はこれを理解しようとしなかった。
この事実を納得して受け入れたのは、
小学生になって
時間割通りに教科書を持っていかないといけなくなってからだ。
ちなみに、時間割通りに教科書を持っていくなんてことは
僕にはできなくて、
大体鞄の中には、全部の教科書が入っているものだった。
やはり、それを「週」という概念を含んだ美しくなく不完全な暦の体系への
抵抗ではなかったのかと思うのは都合のいい理屈だろうか。

Written By K.Nakashima
(2001/9/5)
大きなお世話

コンパイラに最適化という機能がありまして、
この機能により、
例えば絶対に参照されない変数は、
勝手に削除されたり、
必要が全く無いコードは、削除されたりするのですが、
そういう勝手な気の効かせようが、
開発者を苦しめることになるのは良くある話です。
今日は、これで3時間失いました。
気を効かせたつもりが結果として不幸を招くのなら、
これは単なる大きなお世話と言う事になります。
大きなお世話にならない気を効かせる事は
大変高等な技術と言えます。
残念ながら計算機にはそれができないのです。

Written By K.Nakashima
(2001/9/4)
ドリル

マーチング・ドリルと呼ばれるジャンルの
エンターテイメントがある。
これは、簡単に言うとマスゲームしながら楽器を吹くものなのだが、
なかなか器用に前後左右縦横無尽に移動する。
特に「後」は、後ろを見ずに後退する訳で、
予定外に人が立っていたりすると転倒の危険を伴う訳で、
そういう観点から見るとよほど仲間を信用できないと、
とてもああいう動きはできないと思う。
猜疑心旺盛な僕には安全確認ができないリスクの高い動作は、
一生できないのではないかと思う。
安全こそ第一である。

Written By K.Nakashima
(2001/9/3)
吹奏楽の普及

吹奏楽マニアはよく現代曲をやりたがる。
フレーズと呼べない音の流れと、
奇怪な変拍子、
不気味なだけの和音とコード進行。
ただ音を集めただけとしか認識できないものを、
どれだけ多くの人が音楽と認めてくれるだろうか。
マニアの、マニアによる、マニアだけのための音楽を
マニアの仲間内だけで「カッコイイ」と批評し合うのは、
独り善がりなだけではないのか。
商店街を歩いているオヤジさんが聞いても、
立ち止まって最後まで聞いてくれる音楽こそが、
純粋な音楽であり、
駅前を歩く女子高生が、
何あの人たちという目つきで足早に去っていくものは
音楽ではない。
いかなる物事も一般人の価値観で認められないものは、
社会的に意味をなさないものである。

Written By K.Nakashima
(2001/9/2)
北方領土問題

ロシアの世論調査によると、
北方四島はロシアに属するべきだという意見が48%らしい。
もっとひどい事に、
日本とロシアの間に平和条約が締結されていないことを
知らない人が58%らしい。
ロシア国民がこのような意識しか持っていない状況で、
北方領土の返還を交渉しても埓があかない。
まずは、ロシア国民に問題意識を持ってもらうことが重要ではないか。
いくら自民党の議員が頑張ったところで、
問題が解決しそうには思えない。

Written By K.Nakashima
(2001/8/3)
「気持ち」の自由

人間にとって、
完全に自由なものは、
どう思うかとか、どう感じるとか、どう考えるとか
「気持ち」の部分だ。
例えば、言論とか、表現とかすると、
これらは、目に見える形に具象化されるから、
ひどい場合には「公共の福祉」とかによって成敗されるかも知れないが、
具象化さえしなければ、どんな権力者だって、
この自由だけは制限できない。
素敵な風にふかれ、好きな言葉を胸に刻み、
美しいフレーズを感じる。
強いすぎる風は避けるし、嫌な言葉は忘れたい。
耳障りなフレーズとはかかわらない。
完全に自由だ。
この自由だけは、誰にも譲らない。
何を見て何を感じ、
何を考え何を目指すか。
縛る権利が誰にあるというのか。

Written By K.Nakashima
(2001/7/30)

夢の大きさと、
それを実現するためのポテンシャルと実行力が、
人間の価値そのものだ。
夢が追えなくなったら、
縁側でお茶でも飲むしか無い。
そこいらへんで適当にくすぶっている輩に、
一体いかほどの存在価値があるというのか。

Written By K.Nakashima
(2001/7/19)
「気持ち」の表現

「気持ち」というのは、
言葉として具象化した瞬間、
本来の姿から形を変えてしまうので、
取り扱いに注意が必要です。
ある意味では、豆腐や卵よりも、
取り扱いが難しいです。
天地無用でお願いしたいものの一つですね。
あと割れもの注意。

Written By K.Nakashima
(2001/7/11)
公共の福祉

先週、妹といろいろと喋りまして、
未だに黒い長袖のシャツを愛用し、
髪の毛は伸ばしたい放題の私の風体について、
その暑苦しい格好は公共の福祉に反すると
激しい指摘を受けまして、
そういう都合で翌日髪を切ったのですが、
ふと公共の福祉という言葉の恐ろしさを感じました。
例えば、ハンセン病患者の隔離政策は、
公共の福祉のためという立場で行われたものでしょうし、
道をつくりたいと言う理由で、
強制的に土地を買収するのも、公共の福祉のためだし、
何かと本来個人が享受すべき権利を
公共の福祉は制限するのに有効な言葉なんですね。
そのうち、髪型も自由にならない程、
公共の福祉が濫用されたらどうしようかと、
不安に感じながら、髪を切られていました。
公共の福祉、便利な言葉ですね。

Written By K.Nakashima
(2001/7/11)
ブランデンブルク協奏曲

バッハとか聞きながら過ごすと、
優雅な気分になれますね。
そのあと、チャイコフスキーとか聞くと、
急に俗っぽいなと思ったりします。

Written By K.Nakashima
(2001/7/11)
難しい問題

例えば、
論理的な根拠に基づいて
明確な解答が導けない問題は、
難しい。
世の中には、そういう問題が多すぎる。
理由は明確。
人間そのものが非論理的存在だから。

Written By K.Nakashima
(2001/7/10)
平和に関する考察

例えば、私が凶悪な犯罪でも犯したとすると、
日本国の当局は逮捕状を発行して、
逮捕して取り調べて、
送検され、起訴される。
日本国の司法制度に則って、
裁かれ、罪を償う。
例えば、これが日本人でなくても、
海外からの渡航者でも同様で、
国内の事は日本国が主権をもって処理する。
ところが、在日米兵には、
「不逮捕特権」があって、
起訴されるまでは、身柄を拘束されない。
日本国で不逮捕特権を持つのは、国会議員の先生方だけで、
そういうことを考えれば、彼らは国会議員並の特権を
与えられているという事になる。
彼らがいなければ、極東の安全は守られないかもしれない。
極東の安全のため、彼らは「不逮捕特権」を与えられ、
好き放題にこの国を荒す。
しかし、これは仕方の無い事だ。
兵隊さんの基本的な存在意義は、人を殺す事であるから。
殺人集団が安全を守るというのは、
実に滑稽な話だ。

Written By K.Nakashima
(2001/7/6)
悩み事多数

深刻な方から挙げると以下の通り。
(1) 最近の暑さと着るものの関係に関わる問題、
(2) 今週末の楽団の飲み会の参加者が少ないという問題。
(3) 部屋のエントロピーが増大し続けている問題、
(4) 髪の長さによる暑さの増幅作用に関する問題、
(5) 靴の崩壊に対する緊急対策に関わる問題、
(6) 酒の消費量増加と健康管理に関わる問題、
(7) Ethernetドライバ開発納期と人生最期の夏休みの過ごし方の問題、
(8) 研究関連論文調査と研究の方向性の閉塞性に関わる問題、
(9) 秋の演奏会の準備の進行状況が停滞している問題、
他、多数。
これらに対する解は以下の通り。[括弧中は難易度]
(1) 全日本をドームで覆って空調を効かせる。[120]
(2) 積極的な勧誘活動を進める。[1]
(3) 部屋を片付ける。[70]
(4) 髪を切る。[3]
(5) 靴を買い替える。[5]
(6) 飲酒を控える。[10000]
(7) 頑張ってドライバを書く。[50]
(8) 適当にお茶を濁す方法を考える。[10]
(9) 関係各位に処理を促す。[20]
難問、多数。

Written By K.Nakashima
(2001/7/3)
猛暑

もし仮に恋人でもいたとして、
優しく寄り添って来たとしても、
この猛暑の中では、
心も動かないのだろう。
暑い。暑すぎる。これからもっと暑くなるのか。

Written By K.Nakashima
(2001/7/2)
医療従事者

僕はどうも医療従事者、
特に看護婦が嫌いなんですね。
恐らく、高校2年生の時の眼科の看護婦が悪いんですけど、
視力の測定をしていた時に、
どちらの方向が空いているか良くわからないので、
割りと勘任せに答えていたら、
「わからない時はわからないときちんといってね」とため息をつかれたので、
「わかりません」と不機嫌そうに連発すると、
「別におこらなくてもいいじゃない」と応答されまして、
何だかとても苦手になりました。
医療従事者にとって、患者は多数いますし、
患者ひとりの命は、数多くある命と同等だと思うのです。
けれども、患者の立場に立つと、俺様の命は唯一という訳で、
この辺りの事情が異なる訳です。
高校2年生の頃のやりとりには、
この辺りの事情が背景としてあるような気がするのですよ。
忘れてはいけないのは、医者も看護婦もサービス業だということです。
接客態度の悪い某ファミレスよりも、
はるかに感じ悪いですよ。医者と看護婦は。偉そうだし。

Written By K.Nakashima
(2001/6/25)
White Wave

昔は焼酎に対して
抵抗感を感じていた。
飲みにくかったため、飲みすぎることは無かった。
近年、焼酎に対する抵抗感が消滅した。
飲みやすいため、飲みすぎてしまう。
理性では、これ以上飲むべきでないと、
解っていながら、ついついもう一杯と、
泥酔への道をひた走りに走る。
これは、いいことなのだろうか?

Written By K.Nakashima
(2001/6/22)
結婚

昨日の泥酔中、
中学時代の同級生から電子メールが届いた。
結婚するらしい。
「ダーリンが家に挨拶にきてオオケイをもらった」とのこと。
よく考えてみれば、
私の母親が長男を出産したのは24歳の時で、
結婚したのは、23歳の時だったから、
女の子にとって23という歳は、
そういう時期なのかも知れない。
未だに学生という身分でモラトリアムを楽しみ、
居酒屋で酒びたりの毎日を過ごしている私から見れば、
遠い世界だ。
どうか、お幸せに。

Written By K.Nakashima
(2001/6/20)
待ち合わせの約束

小さい頃、友達と遊ぶ待ち合わせをしていて、
待ち合わせ場所には行ったのだが、
友達とめぐり会う事ができず、
悲しい思いをしたことがある。
友達の主張によると、彼も待ち合わせ場所に行ったが
私はいなかったのだと主張する。
実は、私達は、待ち合わせの際、待ち合わせ時刻を決めていなかった。
「ご飯を食べたらすぐ」という表現で待ち合わせをしていた。
この日以降、私は必ず待ち合わせの約束をする時に、
待ち合わせ時刻を決めるようにした。
とても大きな成長である。
これは、大人にとってみれば、ごく当り前の事だが、
子供にとってみれば、とても新鮮な体験であった。
このどうでもいい事件を実に19年間も記憶しているのだから。

Written By K.Nakashima
(2001/6/15)
初陣へ

6月10日に福岡サンパレスで開催される
第40回吹奏楽祭への出演が、
福岡響ウインドオーケストラの初のステージである。
初めてには、トラブルがつきもので、
きっと、予期しない問題が生じる事であろう。
そう思うと、わくわくしてくるのは、
病的な感情だろうか?

Written By K.Nakashima
(2001/6/8)
雑音

私の通う大学は、大変にぎやかで、
マフラーを取り換えた自動二輪や、
自動二輪に取り付けられた盗難防止装置等は、
私の思考に干渉するには十分な程です。
空港も近いため、上空には、航空機も頻繁に往来し、
航空機に至っては、思考停止を余儀なくされる程の
あつかましさですな。
一応、学術機関だと思うんですがね。ここは。
私が、このPhraseを書いている間にも、
航空機が3機程上空を通過して行きました。
ところが不思議なことになれちゃうんですね。
この雑音達にも。

Written By K.Nakashima
(2001/6/7)
ワカンナイ

迷路の中を
さまようのは、
はじめは楽しいのに、
だんだんと不安になるもので、
出口を見付けようと、
焦りだすと、
同じところばかり巡るようになる。
迷路の中を迷う気分と、
誰かの罠にはめられている時の気分と、
似ているとは思いませんか?

Written By K.Nakashima
(2001/6/5)
表現

休日の昼下がり、
ちょっとした雑貨を求めて小さな街へ出かけた。
行き交う人々と、素敵な売子のお嬢さんと、
傾いた日差しの中、
ハイセンスな午後を満喫する予定であったのに、
駅を降りると激しすぎるnoisyなサウンドが、
私の耳を悩ます。
売子のお嬢さんの素敵な声はかき消され、
傾いた日差しは、お嬢さんの肌を蝕む。
とある大学の大学祭のデモンストレーションであったようだが、
彼らの表現の手法には、嫌悪を感じる。
表現は自由である。
単にボリュームのつまみを右に回すのも
一つの表現であるのだろうか。
売子のお嬢さんの素敵な声は、私の耳の届かなかったのに。

Written By K.Nakashima
(2001/6/3)
正義の実現

ハンセン病訴訟の控訴を政府は断念した。
直前まで政府としては、
法律論としては、
控訴せざるを得ないと報じられていたのが、
一転した。
英語のできないドメスティックな私は、
海外へ逃亡することができず、
この国と運命を共にせざるを得ないのだが、
一寸先は闇といったこの国の悲観的な将来に、
一筋の光が見えた気がした。

Written By K.Nakashima
(2001/5/23)
夢の中へ

はいつくばって、はいつくばって
一体なにを探しているのか?
探すのを止めた時、見つかることも良くある話で。
この聞きなれたフレーズに戸惑う日もある。
「一体なにを探しているのか」

Written By K.Nakashima
(2001/5/22)
高額納税者

この時期になると、
高額納税者というものが発表される。
「ユニクロ」や「楽天」の社長がリストアップされていることが
報道されている。
ちなみに、こういう時は、歌手やタレントについても報道されるもので、
やはり私は個人的に陽水が気になるのだが、
今年は歌手部門8位にランクインしている。
昨年の13位については、ベストアルバムの売上について解説があったが、
今年は一体なんで稼いだのだろう?
確かに、「コーヒールンバ」や「花の首飾り」といったカバーを出しているが、
ここ数年、彼は新曲を書いていない。
確かに、全国各地でコンサートをやっているのだが。
新曲を書かなくても、儲かっているということは、
新曲を書いてくれないということかも知れない。
陽水流にいうなら、
「それは、いいことだろう?」

Written By K.Nakashima
(2001/5/16)
JAS 323便

東京から福岡への飛行機の中で、
各シートに置いてある雑誌に
黒糖焼酎についての特集があり、
素晴らしい言葉が書いてあった。
「尊いという字には、酒という字が入っているから、
お酒にかかわる人はみんな尊い」と。

Written By K.Nakashima
(2001/5/12)
黄金週間の恐怖

世間一般は、ゴールデンウィークなる催し事で賑やかですが、
そういった事情と関係なく、こなすべき仕事をこなして生きています。
そうしますと、当然それなりのストレスも溜ります。
そういった時には、どうしても酒が飲みたくなるものです。
その際、飲み友達が、帰省等していると、
酒につき合ってくれる人もいなくなる訳で、
これは、大変深刻な問題である訳です。
やはり、世間一般が仕事していない時は、
仕事をすべきではないのです。

Written By K.Nakashima
(2001/5/5)
ラベル

ラベルという作曲家がいまして、
最近、よく聞くようになりました。
彼は、なかなかハイセンスだと思います。

Written By K.Nakashima
(2001/5/5)
排他的な関係

AとBが、関係Xを持っている時に、
Cが、AやBと関係Xを持つことができなかったら、
不幸になることもあるかも知れない。
また、AとBが、関係Yを持っている時に、
Cが、Aと関係Zを持つと、
同時に、Bとも関係Zを持つような関係も
不幸になることもかも知れない。

Written By K.Nakashima
(2001/5/2)
団長の利点

最近、団長という肩書を持つようになったのですが、
この肩書にメリットはほとんど無いのですが、
あえてメリットを申し上げますと、
履歴書に、
「福岡響ウインドオーケストラを主宰」と
記入しても嘘ではなくなるということです。

Written By K.Nakashima
(2001/4/30)
「さん」と「君」

学校と呼ばれるところでは、
何故か
女の子は、「さん」と呼ばれ、
男の子は、「君」と呼ばれる。
これは、一体何故なのでしょうか。
長年の未解決の問題です。

Written By K.Nakashima
(2001/4/25)
音楽に関する考察

アマチュアの演奏者/団体は、大きく二つのタイプに分類できる。
一つは、演奏技術の高いものを追求するタイプ
もう一つは、音楽そのものを楽しむことを追求するタイプである。
前者は演奏技術が高いかどうかの結果が求められる。
後者はいかに音楽を楽しんだか、楽しませたがという結果が求められる。
いずれにせよ、音楽はステージでの結果が全てという要素を持っている。
私は、後者の音楽が好きなので、後者のスタイルで生きている。
なぜならば、演奏技術を追求するのには、
私生活を犠牲にする程のつらい精進が必要であるからである。
もっとも、精進無しでも結果さえ出せば問題は無いのだが。
団体演奏を行う場合は、他者にもつらい精進を強要する必要がある。
一体何の権利があって、他者につらい精進を強要できるというのか。
アマチュアは、別に飯を食うために音楽をやっているのではない。
あくまで趣味の領域である。
他人の趣味の領域にまで干渉する権利がどこにあるのか。
プロでない以上、私は、音楽とは、いかに楽しむか、楽しませるかが
重要だと思うのである。
私は、音楽を楽しむため、楽しませるため、
そして人に伝えたいものを伝えるために
必要な技術を身につけるために精進したいと思う。

Written By K.Nakashima
(2001/4/16)
雑用

どこの世界にも、雑用と呼ばれるものが存在する。
例えば、研究室での共用の棚や机を整理することや、
吹奏楽団で楽譜を整理すること等、数えあげれば切りがない。
これらに共通することは、それらを処理する事により、
自分がそれに見合う利得を得られない事である。
従って雑用は当然嫌われる。
この嫌われ者の処理の方法は、
いろいろあるが、広く一般的には、
各雑用に対して、担当者がいる場合は良いのだが、
担当者がいない雑用は、誰が処理するのかという深刻な問題を抱えている。
誰もやりたがらないので、処理者はなかなか決定しない。
当然と言えば当然だ。
何故なら、処理から得る利得はあまり無いからだ。
だから中途半端に気の効いた人は、
担当者を決めようと努力する。
雑用が発生する毎に、わざわざ担当者を決める。
それは、決め方さえ正しければ、公平かも知れない。
だが、なにか面白くないものを感じる。
望む結果は雑用が処理されることのみである。
雑用が今まで述べたように、誰もやりたがらない性質のものであることは、
誰もが熟知している。
ある程度均等に雑用の負担が分配されるように、
各自が少しずつ気を効かせて、雑用を自発的に処理すれば良いだけなのに
わざわざ、担当者を決定する努力を払わないといけないのは、
少し、面倒な話である。
実際には、そんなに気の効く人は少ない。
私も気の効かない人である。
私が、中学時代の恩師から教わった言葉がある。
「気が効かないことは罪悪である。」

Written By K.Nakashima
(2001/4/2)
少人数学級の容認法が成立

公立の小中学校の少人数学級が
ある程度実現するようである。
これで少しは、教員を目指している人の競争率も
低下するのではないかと思われる。
教育は、国家の将来への投資なので、
質を向上させ、優秀な人材を育成することが重要だが、
最近の、教育の質は低下しているように思える。
文部省の役人は、「ゆとり」教育というものを押し進めているが、
これは、国家の将来にどういう影響を与えるのだろうか。
「ゆとり」教育を受けた子供は、「ゆとり」を当り前だと思うだろう。
彼らが社会に出て、国家を支えていく時、
彼らは社会にも「ゆとり」を求めるだろう。
それはそれで、良い響きにも聞こえるが、
「ゆとり」は、生産に悪影響を与えるかも知れない。
果たして、これは正しい施策なのだろうか。
勤勉が売りの日本人には、向かない施策ではないのかと思う。
どういう教育をするかで、国家の将来が決まる。
これは真実である。
日本が明示維新以降、「一等国」を目指して突き進んで行けたことも、
戦後の焼け跡から、経済大国に成長できたのも、
優秀で勤勉な日本人そのものの力のおかげである。
その優秀で勤勉な日本人は、教育によって作られたものである。
英語ができない僕の立場をいうと、この国が滅んでいっても、
外国へ逃げることができないので、この国にもう少し頑張ってほしいのである。

Written By K.Nakashima
(2001/3/30)
仲間

僕は、今まで九州北部という限定された地域で、
生まれてから今まで生きてきたのですが、
そういう都合で、究極的には孤独を感じることなく、
幸せに生きてきました。
新しい環境に移っても、
以前の環境の仲間が助けてくれたので、
大変心強く生きていくことができました。
さらに、大学生活では、
誘えばすぐに来てくれる酒飲み友達も豊富で、
日常でストレスを感じることがあっても、
全く問題なく生きていけます。
このように、恵まれた僕は、仲間に感謝しないといけません。
来年は、多分九州北部地方を離れます。
今まで、助けてくれた仲間のいない土地へいくことになります。
これは、深刻な問題だと、真剣に考えました。
個人主義なんて言ってられなくなるんじゃないかと、
危惧しています。

Written By K.Nakashima
(2001/3/28)
地震

昨日、広島や愛媛で地震が起こりました。
割と規模の大きな地震だったらしく、
福岡に住む私も、揺れを感じるものでした。
報道によると、2名の方が亡くなったそうで、
ご冥福をお祈りします。
広島には、いろいろと知り合いがおり、
無事かどうか心配しています。
なかなか連絡が取れない人もいるので、
私は無事だという人は連絡くださると幸いです。
多くの天災が我々を襲いますが、
これは、何故なのかと思う事があります。
人間は、非論理的な存在なので、
地震が起こったメカニズムに理由を求めるのではなく、
私が犯した罪を神様が罰するために、
天災を引き起こしたのだと、
考えることがあるのですが、
これは、自分を追いつめることがあるので、
なるべくしないようにしています。
でも、僕は広島という土地に、
ちょっとした特殊な感情を持っているので、
なかなかこのあたりが難しいのです。

Written By K.Nakashima
(2001/3/25)

卒業

響ウインドオーケストラには、
2名の高校3年生がおりまして、
今春、卒業し、進学のため地元を離れるのですが、
そういう都合で、楽団でささやかながらの
お別れ会というものを行いました。
彼女らは、いまから学生生活を送るのかと思うと、
モラトリアムがあと1年と迫った自分の立場からみて、
羨ましい限りであります。
気がつけば、響ウインドオーケストラを結成して5年も経ちました。
梅の花も散る季節、もうすぐ桜も咲く頃だと思います。
彼女らの将来が明るく輝かしいものであることを
心よりお祈り申し上げます。

Written By K.Nakashima
(2001/3/19)

大富豪

トランプゲームに大富豪と呼ばれるゲームがある。
このゲームは、以下の特徴がある。
それは、前のゲームの最下位の人は、最上位の人に、
配られた手札の最も良い札を差し出さなければならないということと、
最上位の人は、「大富豪」と呼ばれるということである。
これは、資本主義社会においては、
資本を持つ者は、資本を持たない者から
富を搾取するという厳しい側面に対応する。
やってみると分かるが、
最下位の人が、次のゲームで上位に躍進することは難しく、
「大富豪」が、次のゲームで下位に転落する可能性も低い。
しかし、このゲームには、もう一つ興味深いルールがある。
それは、4枚同じ数のカードを場に出すと、
「革命」が起こせることである。
「革命」が起こると、カードの価値が正反対になる。
「革命」が起こるとたちまち「大富豪」の立場は危うくなる。
「大富豪」は転落し、立場を追われる。
革命は、現行の体制に不満を持つ者が蜂起し、
自己にとって都合の良い体制を樹立することである。
資本主義が進むと、貧富の差は拡大する。
あまりにも、貧富の差が拡大すると、民衆は蜂起し、革命が起こる。
これほど、現実の社会システムを反映したゲームも
珍しいと思わないか?

Written By K.Nakashima
(2001/3/11)

合格発表

5年前、合格発表を高校の友達と二人で見に行った記憶がある。
不幸なことに、僕は合格したが、友達は不合格だった。
僕は、彼が不合格であったという事実もあり、
合格をあまり喜べなかった。
どちらかというと不幸な顔つきだった。
そういう都合で、合唱団のコーラスによる祝福も、
体育会系のサークルの胴上げも、
各種サークルの勧誘のビラも、
受けることはできなかった。
そこで、5年前の合格の喜びを味わうために、
長年計画していた作戦を実行した。
作戦は、以下の通り。
1. 不安そうな顔をして、合格者発表の掲示板の前まで行く。
2. しばらく何かを探したふりをして、その後、顔いっぱいの笑顔を作る。
意外と上手くいくものである。
とあるサークルの人がやってきて、
「合格ですか」と聞いてきてくれた。
そこで、究極の作り笑顔で、「はい」と一言。
たちまち、人が集まってきて、
3回程宙を舞った。
5年ぶりに、大学に合格したことを喜ぶことができた。
今日は、いい一日だった。
騙された皆さん、ごめんなさい。
ありがとうございました。

Written By K.Nakashima
(2001/3/10)

舌打ちする癖

僕には、
舌打ちするという悪い癖があり、
これは、なかなか、直らない。
ほとんど無意識のうちにやっているから
たちが悪い。
ところで、舌打ちするという行為は、
遺伝的なものなのか、
文化継承的なものなのか、
どちらなのだろうか。
多くの人が舌打ちする癖を持っているが、
これについて、文化的な教育を受けたことはない。
他人が舌打ちするのを聞いて、
自分も真似しようと思ったことは無いし、
広く多くの民族にそのような傾向があるような気がする。
それでは、人間の本能に、舌打ちするという行為が
含まれているのか。
どちらが真実なのだろうか。
これは、興味深いことだ。

Written By K.Nakashima
(2001/2/25)

プレゼンテーション

授業で発表したプレゼンテーションを
ディジタルビデオに録画しているのだが、
レポートを書く都合上、自分の発表を見る必要があり、
渋々、見る事にした。
気が付いたことは、質疑応答の際、目付きが悪いことである。
我ながら親しみのかけらもない顔である。
プレゼンテーションでは、聴衆の方を向いて
説明をするように求められる。
以前、正面を向いて発表しようとした事があった。
しかし、僕はそれを途中で断念した。
何故ならば、聴衆は、非常に恐い顔をして
発表を聞いているからである。
プレゼンテーションでは、議論が起こる。
議論とは本質的には、闘争的な行為である。
理屈の上では、議論の結果、より良いものを創造したいのだが、
自己の主張は、簡単には曲げられないので、
語調を強めることもある。
そういった場合に備えて、本能的に、
恐い顔になり、悪い目付きになるのではないだろうか。
かといって、もし僕が笑顔を振りまいてプレゼンテーションしていたら、
どうだろうか。

Written By K.Nakashima
(2001/2/23)

幸福の本質

幸福の本質を僕は知らない。
何が幸せであるのか、良くわからない。
何によって幸せがもたらされるのか、良くわからない。
仲間とともに酒を食らう。
これは幸せな事だと思う。
じゃあ、酒は幸せをもたらすかとというそうでもない。
熊のぬいぐるみに対して
幸福とは何ですかと相談しても、
特にきちんとした答えは導けない。
イライラしてくるので酒を食らう。
そのうちうとうとと眠くなる。
気が付けば朝がやってくる。
毎日が不幸だとは思わない。
物質的には、満たされている。
大きな悲しみはない。大きな喜びも無い。
陽水の歌は、疑問形ばかりで、答えは無い。
Trumpetという単語の語源は
幸せをもたらすラッパであると
昔、恩師に教えてもらった。
僕がTrumpetを吹き続けている理由は、
きっと幸せをもたらしてくれると信じているからである。
確かに、多くの仲間と喜びを共有することができた。
それは、素晴らしいものであった。
じゃあ、幸せとは何ですかというと
やっぱり、わからない。
Trumpetという単語を辞書で引くと、
語源は大きな音が出るラッパだと書いてある。

Written By K.Nakashima
(2001/2/20)

音程

先日、非常に久しぶりにカラオケに行った。
あまりに久しぶりであったため、
いつも歌いなれていたはずの曲の音程感覚を随分忘れていた。
随分、音程が悪くなっていたと思う。
カラオケは、所詮遊びであるけれど、
やっぱり音程が悪いのはいただけない。
ちょっとは、練習した方が良いのかしらと思った。

Written By K.Nakashima
(2001/2/13)

携帯移動端末の進化

僕が、はじめて携帯移動端末を所持したのは、
大学に入学する時で、
1996年であった。
DDIの最旧式PHSであったが、
当時としては、携帯移動端末を所持する事自体が、
とてもめずらしい事であり、
多くの友達が羨ましがったものであった。
その携帯移動端末には、電話帳機能があり、
4件の電話番号を記録する事ができた。
リダイヤル機能があったかどうかは、あまり記憶に無い。
当時の電話というものの考え方は、
電話番号は、手帳にメモしておき、
メモを見ながら電話をかけるのが常識であったため、
たった4件の電話番号の記録機能でも、十分だった。
親しい友達の電話番号は、完全に記憶していたものだった。
それが当たり前であった。
その後、誰もが当たり前のように携帯移動端末を所持するようになっていた
1998年に、
アステルのPHSを契約した。
このPHSは、100件の電話帳機能があり、
リダイヤルも10件まで記録可能であった。
最旧式PHSと比較して、50%以上小型化しており、
重量も、約半分になった。
ちょうどこのころ、携帯移動端末同士の、
文字通信が可能になりはじめていたのであるが、
このPHSには、そういった機能はなく、
純粋な意味での電話であった。
最近のIT革命の時代の流れにまけ、
とうとう、2001年に、NTT Docomoの携帯を契約した。
電話帳機能は、600件程、
リダイヤルも、20件まで記録可能であり、
「iモード」の機能を持つ。
DDIの最旧式PHSと比較すると、
サイズは、50%以上小型化し、
重量は、1/3ほどになった。
たった5年間の間で、こんなに携帯移動端末が進化した。
我々、人類は、この5年間で一体、どれだけ進化しただろう。

Written By K.Nakashima
(2001/2/4)

鶏と卵の問題

この問題は大変有名ものである。
鶏が先か、卵が先か、
これは非常に難しい問題である。
鶏は卵から生まれる。
卵は鶏から生まれる。
どちらが先であるかと言うのは、
この二つからでは判別できない。
しかしながら、この問題は意外にも簡単に解けてしまう。
一番初めの鶏が何から生まれたかを考えればよい。
進化論を前提とすれば、
一番初めの鶏は、
鶏に進化する一つ手前の生物が生んだ卵から生まれたのだ。
一番初めの鶏は、鶏の一つ手前の生物が生んだ卵に遺伝的に異常があったため
鶏の一つ手前の生物ではなく、鶏として生まれてしまったのだ。
この鶏は、鶏の一つ手前の生物の生んだ卵から生まれた。
その卵は、鶏からではなく、鶏の一つ手前の生物から生まれた。
つまり、卵が先にあったのである。
この問題を解決したことによる充実感は素晴らしいが、
こんなことも解らずに今まで「鶏と卵」なんて言葉を使っていたのかと思うと、
情けなくもある。

Written By K.Nakashima
(2001/1/18) 
鶏と卵の問題の再考

実はこの問題、本当はもっと根が深いのです。
進化論を前提とすれば無事解決するのですが、
世の中には進化論を全く信じていない人がいます。
現に、我々人類は、小規模な進化を目にすることはあっても、
大規模な進化を目撃したことはありません。
進化論が前提じゃないとすれば、問題は複雑です。
キリスト教では、生物は神様が創造したものであるらしいです。
そうすると、神様が先に卵を作ったのか、鶏を作ったのかということで
この問題が解決します。
きっと他の宗教では、結論が違うでしょう。
この宇宙は有限なので、絶対どちらかが先なのですが、
どちらが先かどうかは、本当は解らないのです。
難しくて良く解らない、「始まり」に関する話は、
昔から、難しかったので、神様の責任にしてしまっていることが多いようです。
難しいことは神頼みというのは、人類の悪い癖です。
上のphraseでの僕の結論は、絶対ではないものです。
ただ、僕の知る生物学的な知識に基づき、
科学的に考えると、多分卵の方が先だと思うという個人的意見に過ぎないのです。
どんな論理も、論理体系や真偽の基準が無ければ、
真か偽かは、判別できないものなのです。
世の中にある真実なんて、所詮相対的なものばかりです。

Written By K.Nakashima
(2001/1/18)


iモードできる携帯

近年、携帯移動端末による
インターネットの利用が増加してきている。
研究室に通うようになってから、
高速、かつ汎用的にネットワークに接続できる環境を享受するようになり、
携帯移動端末によるインターネットの利用というものに
ほとんど関心がなかったのだが、
時代の流れには逆らえず、
携帯移動端末によるインターネットの利用の代表的なサービスである
iモードができる携帯電話を導入した。
日頃は、キーボードとマウスという
強力な入力インタフェースを使用しているため、
電話機の小さな十数個のボタンによる操作は、
大変困難である。
初めてキーボードを使用した時の操作の難しさを思い出す。
インタフェースは人に優しくなくてはならない。
ものづくりの基本である。
小型化による携帯性の向上と、小型化による操作性の低下の駆け引きが生んだ
ジョグダイヤルというインタフェースは、
なかなか画期的であった。
携帯移動端末機のための文字入力インタフェースについても、
なにか画期的なものがあれば良いのにと思う。

Written By K.Nakashima
(2001/1/16)


新世紀のはじまり

今年は、21世紀の始まりの年ということもあり、
気合でもいれて何かしようと
思ってはいたのですが、
やっぱり正月といえば、
うまい飯とうまい酒であって、
やっぱりというかなんというか、
酒ばかり飲んでいた気がします。
結局、21世紀の始まりは、
酒浸りでした。
正月という年中行事にはかないません。

Written By K.Nakashima
(2001/1/4)


我々の時代の到来

いよいよ、21世紀という、
我々のための時代がやってきた。
我々の世代が、
この21世紀という無地のキャンバスに、
夢という絵の具で、
時代を描く日がやってきた。
21世紀という我々のための時代は、
禿げ上がった議員の先生方や、
企業のお偉いさん方が、
暴利を貪るのための時代ではない。
我々が次世代に向けて、
新世紀にふさわしい文化文明を創造し、
人類の幸福のために汗を流すための時代である。
受動的では面白くない。
能動的に自らの手で時代を創造しよう。
将来に希望がないと嘆いているだけでは
新世紀への扉は開かれない。
幸せは、歩いて来てはくれない。
我々は、自ら歩いて行かなければならない。

Written By K.Nakashima
(2001/1/1)

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